STORY

丸安毛糸の物語

3代目社長岡崎博之

このページのタイトルは、丸安毛糸の「沿革」や「歴史」ではなく「物語」としました。
私は、何をしたか、何が起こったか、よりも、何故そうしたのか、その時どんな思いだったのか、を大切にしたかったからです。

1948

祖父、岡崎三蔵が、腹巻、都腰巻、手袋などの製造卸商をはじめる。

1955

7月6日 父の名前「安宏」の安を取り、資本金150万円で丸安毛糸有限会社を創立。

祖父と父2人で資本金150万円で創立。先代の父の名前「安宏」の安を取り、「丸」はお金を表す。「安」には安心・安全の意味も込められています。

当時、大手の糸屋は10軒近くあり、東京の堀留町、横山町などの大手製品問屋と親密な取引をおこなっており、創業したてで後発の私たちが入り込む余地は、全くありませんでした。

この時代は、腹巻、手袋、防寒着としてのセーターなどの、実用衣料としてのニット製品が大量に流通していました。

1957

2/32 ウール100%、

色ストックサービスなど画期的な試み。

現在では当たり前になっている、見本帳BOOKを作り、染色糸のストックサービス、現金取引の商売を始めます当時では画期的な試みでした。

ここまで細かい対応をしなくても、大手問屋の商品は当然売れていました。しかしこれが、私たちの差別化のスタートです。

設立当初から、大手問屋との大きな取引ではなく、中小問屋向けの取引を重視した会社でした。当時の売上金額は、2,000万円です。

1964

1964~1965年 弊社とアパレル、そして大手小売専門店チェーンの鈴屋との共同企画で素材開発をスタート。ニットのプリーツ大ヒット。

お客様と共同開発した素材で作ったウールのセーターと、ニットのプリーツミニスカートのツーピースの商品が、大ヒットし、業界にセンセーションを巻き起こしました。

それを機に、アパレルからの取引依頼が殺到しました。ファンシーヤーンと呼ばれる、加工糸他社にはない、新しい糸の開発に重点をおき、会社の地位を徐々に確立していきました。

1973

父、岡崎安宏が代表取締役社長に就任。

1974

資本金1,000万円に増資。本社向かいに商品倉庫を建設。

1975

資本金を2,000万円に増資。伊藤忠商事他、大手商社との取引も開始。特にトーメンと共同で業界では初のイタリア、フランス、ペルーからの糸の買い付けもおこなう。

1976

資本金を3,000万円に増資。

今では当たり前ですが、専門店向けのアパレルとすべて取引できていた事。そして、新しい素材開発と、編地テキスタイルの提案は、当時は私たちのみであり、圧倒的な強みでした。

1980

1980〜1990年 DCブランドブーム到来で更に素材開発を加速。ニットのデニットが大ヒット。

専門店に代わり、マンションメーカーから始めた、DCブランドブームが到来。
弊社の開発したレーヨンのニットデニットで作ったフェミニンなニットのツーピースが大ヒットし、再び業界の話題になりました。

それを機に、DCブランドとの取引が、大きくなりました。
デザイナーブランド向けの取引は、まさに私たちの得意分野であり、長きに渡り中小の問屋と差別化した商品を開発してきたことが、見事にマッチしていました。売上も倍増し、安定した収益を上げていました。

DCブランド全盛時、アパレル最大手から取引依頼が来ましたが、父はお断りしました。確実に売上は倍以上になるはずです。しかしながら、従来から大切にしてきたお客さんに迷惑がかかる。人間的付き合い、恩義を大切にしていきたい。得意な素材開発もままならなく、ただ忙しいだけになる。社員も振り回される…価値をわかってもらえないのではないか!?という理由でした。

1990

同じ両国3丁目の土地に、6階建ての新社屋を建設。

感性の高い糸を販売している企業イメージに合わせてデザインした元社屋です。
ビルの1階は、父の趣味であるヨーロッパのアンティークの家具、小物を置いたカフェ「ウール倶楽部」も作りました。
社内インテリアも、オフィスビルではなく、まるで住居空間のように、ウッドのフロアーにアンティークの家具、父の描いた絵画を飾り、温かい作りです。

取引先は、DCブランドブームも終わるころから、ミセスの専門店向けのこだわった物づくりをするニットアパレルに、徐々に移行していきました。

1991

私(岡崎博之)が5年間勤めた総合商社を退職し、丸安毛糸に入社。同時に製品部を設立。

商社時代に培った海外生産のノウハウを活用し、製品部を設立。香港、中国との製品の商いが始りました。素材だけではなく本格的にOEMが始りました。

1995

2月 初めてPitti Filatiへ視察。

世界一の糸の展示会Pitti Filatiで、素材、編地、見せ方すべてにおいて衝撃を受けました。もっと世界を見て、もっと作らないと行けない。以後年2回必ず視察に行き、開発が加速します。
いつかこの舞台に立ってみたい…そんな夢を描くようになりました。

レーヨンとポリエステルの合繊糸「レイテック」が大ヒット大ロングセラー開始。
25年以上売れ続け、累計500,000KG達成(2020年)

レーヨンの弱点であった、扱いにくさ、重さを特殊なポリエステルを入れることで克服。
しなやかで綺麗で膨らみのある全く新しい素材が完成。現在も進化しながら販売しています。

1998

メロー 2/72  パフが大ヒット、大ロングセラー開始。
22年間で、累計300,000KG達成(2020年)

イタリアの糸に同様の大ベストセラー糸があり、それの日本版として作成。カラーカードを作り染色糸としてストック販売を開始しました。
以降、この2種をベースに他の糸との組み合わせ等多種に渡りシリーズ化して現在も販売しています。

2002

ジャパンクリエーションなどの合同展示会へ積極的に出展。

2003

5月20日 祖父の生誕100歳の誕生日の日に、岡崎博之が3代目社長就任。40歳になる年でした。

先代の父から、3年前より70歳で引退すると言われていました。時期は私自身で決めると言うことだったので、大好きだった祖父の誕生日、5月20日にこだわりました。

2005

1月 社員が選ぶ年間MVP賞創設。

最初は新年会の行事としてスタートしました。社員の投票のみで決める年間MVPです。
投票時のコメントも発表することで「賞よりもコメントが励みになる」と言う声も多数。
2019年より、3月末の経営計画発表会にて発表しています。

4月 「会社の文化」を作ることが目的に社員研修をスタート。

2003年に社長に就任してから、経営の師匠として国際後継者フォーラムの二条彪先生の元で学んでいます。社長だけではなく社員も一緒に学んで欲しい。学ぶ文化を作りたい、社内での共通言語を作りたい…そして「会社の文化」を作りたい。
そんな思いから、4月に一緒に二条先生の元で学んでいる異業種の会社、ヤマシナ商事さんと合同で社員研修をスタートしました。(2社合同研修は、2020年現在でも毎年1回続けています。)

現在、研修は途切れることなく、様々な研修に参加し、また社員が自ら企画をしています。
こうして社員研修も手伝って「会社の文化」が作られ、継承されていきます。

チャイナプラスワンで、タイ、インドのニット工場との取引を開始する。

前年、インドとタイを視察。カルチャーショックを覚えながらも、製品の生産に挑戦。
タイのニット工場とは、現在(2020年)でも良きパートナーとしてしっかりお付き合いしています。

7月 50周年を迎え、第二創立期として新たなスタートを切る。
資本金を5,500万円に増資。

東京ディズニーランド、ホテルミラコスタにて社員、社員家族で周年パーティーを行う。
しかし、当日震度5弱の大きな地震があり、大幅に開催時間をずらすも移動半ばで残念ながら参加出来ない社員もいました。

2006

2月 メルマガ「Maruyasu Knit Gallery」スタート。

アパレル業界、特に製造メーカー(原料メーカー)からの発信は、革新的でした。

2008

パティオ、アロンジェ販売開始。海外著名ブランドからも高評価。ロングセラー開始。

アルパカやリネンとポリエステル高混率の糸は世界初。
ナチュラルでありながらプリーツ、プリント加工もしっかり出来てしかも軽い。全く新しい表現が可能な糸として、著名ブランドの使用も多い。

12月 丸安冬市開催。

会社近くにある、旧吉良邸で行われる元禄市に合わせて、出店と会社の駐車場にて初めて一般顧客に糸とサンプル製品の販売をしました。格安ですがその品質はすぐにわかってもらえて大人気のイベントになりました。

2009

3月 第1回ベストニットセレクションに初出展。

東京国際フォーラムで、日本全国から選ばれたニットの会社50社の展示会。
展示内容、展示方法がユニークで他社を圧巻。初回から大人気のブースになりました。

3月 KnitLabo(ニットラボ)が完成。新しいビジネスモデルとして業界からも注目を浴びる。

ニットラボとは、企業理念「老舗の誇り、プロの誇り、みんなで編み続ける会社、それが丸安毛糸です。」
私たちの使命「ニットを作る楽しさ、嬉しさ、そして感動を伝え続けたい」
企業理念と私たちの使命をカタチにしました。

社員とお客さまが、「みんなで一緒」にニットを作り上げる空間です。本社内をお客様に無料開放しました。過去の本、資料、編地を整理し、いつでも自由に来ていただき、その場で仕事も出来る。「モノ」を売るのではなく、一緒に作るコミュニケーションの場です。

4月 メルマガ「KnitLabo通信」に改名。

KnitLaboが出来たことで、空間(場所)の提供に合わせて、ニットに携わる方、プロのデザイナー向けに、糸、ニットの知識、ノウハウをより内容を充実させた発信を開始する。
特にアパレルメーカーからは「社員教育にも活用させていただいています!」とお褒めの言葉を数多くいただきました。こうして、いち早くデジタル化に着手しました。

2010

3月 第2回ベストニットセレクションに出展。(以降2020年まで継続出展)

7月 創業55周年を迎える。

50周年で苦い思いがあったので、再度50周年の時と同じ場所、ホテルミラコスタでパーティーを開催。リベンジを果たす。

フェレットヘアー 大ヒット。

中国の紡績工場との共同開発の「フェレットヘアー」が製品で大ヒット。
現在(2020年)類似品が多く出回っていますが、私たちの品質は他社とは一線を画しています。

2011

4月 表参道にて丸安毛糸初の単独展示会となる製品展示会を開催。

2011年3月11日、東日本大震災。自粛ムードではあったが決行。単独展示会を「表参道」で開催することは、一つの夢であり目標でした。

6月 本社にて展示会を初開催。

表参道ではなく、「両国本社で展示会をやりましょう!」社員からの熱い後押しで開催。
自粛ムードは続いていましたが、「私たちは経済を止めない!しっかりおもてなしをして私たちから元気を出していこう!」と言う主旨で行ったところ、丸安毛糸初の本社展と言うこともあり、業界からの注目を浴び大盛況でした。3日間で250社以上が来展。
皆さんから大変喜ばれました。

ただ、想定外のお客様の数に希望された資料発送にかなりの時間がかかり、ご迷惑をお掛けすることに。しかしそれを機に、社内オペレーションの大幅な改善が行われ、現在では翌日でも発送出来る体制を築くことが出来ました。

バルーン 大ヒットロングセラー開始。累計200,000KG販売(2020年)

最高質のウールに特殊なアクリルをブレンド。この糸の膨らみ感がまさに「バルーン」。
ニット製品特有のボリューム感がさらに増し、軽く仕上がり、編み目が綺麗に立つことで大好評。番手を増やしたり、アルパカをブレンドしたり、シリーズ化しています。

2012

11月 大阪にて展示会を初開催。

東京に本社を持つ私たちが大阪で展示会を行うことには、大きな意義がありました。
「来てくれて、ありがとう」

4月 ニット産地 山形・新潟にて展示会を初開催。

7月26日 初のブログ「Knitlabo 目指せ!ニットのWikipedia」をAmebloでスタート。

メルマガからブログに移行しました。積み重ねと記事の内容でWeb検索をされやすくする為です。

Facebookページ、TwitterなどSNSも同様に力を入れる。

10月 ニット産地 福島にて素材展示会を初開催。

ニット産地で展示会を行うことは、さらにニッターの皆さんとの深い繋がりが出来、大きな相乗効果がありました。普段多くの素材を目にすることが出来ない工員の方々、1社10名以上の来展もありました。「来てくれて、ありがとう」

11月 本社展示会にてトレンドセミナーを初開催。

トレンドセミナー、ニットセミナーは 本社展示会時に随時行っています。
セミナーの要望は常に高く、即日満席となります。

2月20日 編み物教室「ニッターズアカデミー」がスタート。B to Cビジネスの第一歩。

1階の喫茶店「ウール倶楽部」にて開催。一般のお客様にも、最高級の糸に触れていただき、編む楽しさを伝えていこうと言う企画です。私たちのB to Cのビジネスへの第一歩です。

3月1日~4日 丸安毛糸のオリジナルニットブランド”PuntoDoro”がparis sur mode(パリシュールモード)に初出展。海外の展示会初出展。

海外に売りたい!挑戦したい!売るなら欧米、パリ!?
数ある展示会がある中で、どれが私たちに合っているか、パリへ行き展示会のリサーチをすることからのスタートでした。同時期、中国の展示会からのお誘いはありましたが断りました。
1万枚を選ぶより100枚でもいいからパリに挑戦することが私たちらしく、また皆んなのモチベーションも上がると思ったからです。

そして、一番私たちらしい展示会が、Paris Sur Modeでしたが、私たちの価値を本場のパリではそう簡単に認めてもらえず、出展の許可が出ません。そんな中、パリで行われていた他の展示会から先に、出展許可が来ました。とりあえず、その展示会に出展すると言う選択肢もありましたが、踏み止まり一番出したい展示会から合格が来るまで、頑張ろう!と決めました。

その判断が正しく、パリでお世話になっているミリビスさんの後押しもあり、念願が叶い、Paris Sur Modeから出展許可がおりました。先にOKをいただいた展示会はその後すぐに無くなってしまいました。あのまま出展していたら…思いを通してよかったです。

初回の展示会は、オーダーが全くないことが通説でしたが、私たちはビギナーズラックで何軒からもオーダーをいただくことができました。しかし、ここからが大変でした…

ブランド名Punto D’oroは、イタリア語「金の編み目」と言う意味です。
大切に編んでいくと言う意味も込めています。

7月 JETRO輸出有望案件発掘支援事業に選ばれました。

選ばれた理由は(JETROより)
「日本だけでなく、海外にも販路を広げたい会社である。誰にも負けない技術がある会社である。会社は小さいけど、作っているものは世界一の会社である。輸出したいけど経験がなく不安な会社である。」(笑)
これにより、費用面も含めた海外展開への大きな後押しと助けになりました。

2013

定期的に年13回の展示会・年2回のトレンドセミナーを開催。

2014

定期的に年13回の展示会・年2回のトレンドセミナーを開催。

7月 ブログをAmebloからWordpressに移行。
同時に、BtoB、BtoC 向けの2本を立ち上げる。

BtoC(一般消費者)向けにも、ニットを作る楽しさをプロの立場から発信します。

2015

2月 愛知県一宮市で開催されるジャパンヤーンフェアに初出展。

糸や生地の製造産地での展示会です。私たちの糸は主にセーター用ですが、カラーストックをしている糸は、織物メーカーさんにも喜ばれます。新しい販路の開拓でした。

3月 経済産業省より、「がんばる中小企業300社」に選ばれる。
選考理由は、「海外への挑戦とものづくり」でした。

全国のベスト300社に選ばれたことは、本当に嬉しかったですね。ファンシーヤーンの素材開発と独自のニットブランドで欧米への展開を目指していることが評価されました。
また女性社員が半数を占めることから、「女性が働きやすい職場環境を実現」と追記もありました。

7月6日 創立60周年を迎える。
「ニットを大切に大事に Love Knit」をスローガンに。

ファストファッション全盛時において、安価で使い捨てのようなニットが市場に出回る。
ニットにはそれぞれ思い出があり、なかなか捨てられないもの。今こそ良いものを大切に着る。修理して長く着てもらいたい。と言う意味を込め、生産地とアパレルメーカーを繋ぐ試みや、一緒に大切にものづくりをしていこう。60周年だからこそ、Love Knitを広める行動をしました。

2016

1月 手芸糸ブランド「60ろくまる」販売スタート。

60周年記念事業として、初めて一般消費者に向けて手芸糸を販売するブランドを作りました。

60周年の60と、糸の太さも示す番手の読み方「ろくまる」を合わせました。

一般の方々にも、本物のいい糸に触れて欲しい。60周年のスローガンLove Knitもろくまるを通じて伝えていきたい。最初の販売は、クラウドファンディングMakuakeからのデビューでした。

「世界に通用する会社、それが丸安毛糸です。」

先に製品のブランドPunto D’oroで世界に販売しましたが、糸も販売したいと言う夢を実現したかった為、本格的に世界標準のモノづくり、人づくりを目指しはじめました。
「世界に通用する会社、それが丸安毛糸です。」
世界に通用する素材、製品を創ります。
世界に通用する人材を育てます。
世界中のニットを愛する人たちが集う場所を作ります。

2017

6月 オリジナル糸ブランド「MONTELUCE」がPITTI FILATI81初出展。

憧れだった世界一の糸の展示会「Pitti Filati」に出展することが出来ました。
1995年、初めてイタリアへ行って以来、視察目的ではなく「いつかこの舞台に立ってみたい…」その夢が叶いました。
出展するにあたり、「丸安毛糸」「Maruyasu」ではなく糸のブランドを新たに作り、その名前で出たかったのです。今までより、もっとこだわって、世界に出る。

Monteluceは、イタリア語の造語。Monteは山、徹底的にこだわって頂点を目指す。
Luceは光、それを見たデザイナーさんが閃く、驚く。それを合わせたMonteluceのロゴと創業時1960年代に流行ったフォントをアレンジしました。
Monteluceの名前から全てのブランディングは社内で行いました。

今までの視察で培ったPittiにはなかった糸、Made in Tokyoの糸はJapanの糸ではなくTokyoのテクノロジーを感じさせる糸として、初回から会場での口コミが広がり、ブランド名をイタリア語にしたことも功を奏し、多くの来場者が押し寄せました。

7月 超撥水糸「Proof PLUS」シリーズを開発。スポルテックに出展。

ファッションアパレル向けの展示会ではなく、東京ビッグサイトで行われる大きなスポーツ関係の展示会に初出展。スポーツウェアブランド、シューズメーカー等から多くの問い合わせと取引に繋がりました。異業種、新しい市場への挑戦の第一歩です。

10月5日 浜離宮にて「MONTELUCE」特別展を開催

Pitti Filatiから凱旋帰国後、特別な高級糸との位置づけから浜離宮の茶室で数社限定で展示会を行いました。

2018

3月2日〜5日 丸安毛糸のオリジナルニットブラド”PuntoDoro”がTRANOÏ Bourse Paris  Women’sに初出展。

Paris Sur Modeに出展していましたが、商品を高く評価していただき、TRANOIのオーナーから直々にTRANOIへのお誘いをいただきました。BourseでのTRANOIは憧れの場所。
出展場所を移動しました。1階センターの素晴らしい場所をいただけ、ますますクリエーションを高めるモチベーションが上がりました。

2019

3月26日〜28日 丸安毛糸のオリジナルニットブランド”PuntoDoro”がPASSAGE 渋谷での展示会に初出展。

国内にもますます販路を広げたく、合同展に出展。感度の高いお店との取引が始りました。

3月 経営計画発表会。国内、海外含めて年間20回の展示会開催を達成。

会社初、65期へ向けての経営計画発表会を、第一ホテル両国で行いました。

4月 Flying Jeansデビュー。

山形で筋ジストロフィーを患い車椅子生活ながら、パラグライダーに挑戦する「空飛ぶ車椅子社長」こと加藤健一さんと、車椅子の人向けのジーンズ「Flying Jeans」を共同開発し販売をはじめました。

6月 TOKYO KNIT 認定。

10月 65周年記念事業 会社のリブランディングと新しいホームページ作成に着手。会社へのアクセスは月35万PVになる。

2006年のメルマガから始まり、ブログやSNSなどで様々な発信を続けてきました。
さらに強固にする為に、新しいホームページを作成し、発信の質を高め、会社のリブランディングを行います。

12月 丸安冬市 年末の風物詩に。

2008年よりはじめた丸安冬市は、夏市(7月)も開催するようになり、現在では年2回の大イベントになっています。
顧客数も相当なものになり、早朝から大行列。2019年は、用意した糸が2時間ですべて売り切れてしまい、翌日の開催が出来なかった程でした。

2020

2月 平成30年度ものづくり補助金受給。

在庫の見える化と輸出システムの構築が認められました。

2月10日(ニットの日) ニットを大切に着つづけていくためのワークショップ 「Rep Knit(リプニット)」開催。

SDGsが叫ばれ、自然に優しい素材が全盛の中において、私たちはそのような素材開発だけではなく、60周年の時からうたっている「ニットを大切に大事に Love Knit」。良いニットを直しながら長く着ることを再度提唱。そのお直しワークショップを開催しました。Repには、リペアー、リプロダクト…の意味があります。

3月27日 経営計画発表会。

昨年に続く経営計画発表会は、コロナ禍で会社の1階ウール倶楽部で行う。
懇親会もなしで、年間MVPに加えてブログのMVPの表彰。16年連続になりました。

4月 テレワーク、助成金受給。

元々東京オリンピック時の働き方改革で推奨されたテレワークでしたが、コロナ禍で一気に急遽需要増。もともと奨めていたので、受給も早く即導入でき成果も上がりました。

5月14日 丸安福段ボール市初開催。

恒例の夏市が開催出来ないことから、福段ボールで格安にて販売。100セット限定が即日完売となる。

5月 展示会をオンラインで開催。

緊急事態宣言下である為、オンラインでの展示会を考案し、2週間開催しました。

7月6日 創立65周年を迎える。

私たちは、創業以来、糸、ニットの専業、プロとしての開発を絶えることなく、続けてまいりました。

拡大路線にせず、既存のお客様を大切にし、ニットが大好きなお客様と一緒にものづくりをしてきたと思います。

どの時代においても、いいお客さんとめぐり合うことが出来て、IT化の推進、SNSの積極的な活用等、いち早く時代にも対応し進化、変態することが出来ました。

65周年を迎える今、私たちはさらに進化し、異業種、他業種とのお取り引きやその業界の方と一緒にクリエーションを行うことが増えています。

私たち、丸安毛糸は、生き続けます。

創立からのDNAを、しっかり守りながら継続し、誇りを持って、これからも「みんなで一緒」に、更なる進化と変態を繰り返していきたい。

「最後の1社になる。」

この気迫を持ち続けていきたいと思っています。

7月6日 新ホームページ完成、公開

プロジェクト委員会を立ち上げて、構想、構成に1年以上かけ皆んなで作り上げました。

私たちは、10年に渡り、ブログやSNSを通じて情報発信を続け、現在月に35万のアクセスがあります。
それを、新たに「ニットマガジン」などわかりやすくし、また新たなカテゴリーも多く追加しました。

丸安毛糸ヒストリーも、「丸安毛糸物語」として、私の言葉で加筆しました。

ブランディングとしても、大きく変わっています。

沢山の新機能を加え、わかりやすさにも徹底的こだわった、自慢のホームページが完成しました。

まさに、今日から私たちが目指していくことをカタチにしたホームページです。

本日、この日に公開出来たこと、スタッフの皆さんと製造に関わっていただいた方々に深く感謝いたします。