丸安ヒストリー

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1919年(大正8年)  愛知県江南市で4人兄弟の3番目に生まれた祖父、岡崎三蔵は、この年15歳で上京。
墨田区の石原で堀越庫吉氏が経営する堀越商店という糸の問屋にでっち奉公に入りました。

1941年(昭和16年) 太平洋戦争が始まると、統制制度により糸の販売が出来なくなり、22年間勤務した同社は、店をたたんでしまいました。

1946年(昭和21年) 終戦の翌年、両国の地を購入しました。

1948年(昭和23年) 腹巻、都腰巻、手袋などの製造卸商をはじめ、横山町に卸し始めました。

1955年(昭和30年) 7月6日 慣れ親しんだ糸の販売の思いが強く、父の大学卒業の前年に、父の名前、安宏 の安(安全、安心の意味もあるので。)を取り、丸安毛糸有限会社を創立。  資本金150万円からの始まりでした。
当時、大手の糸屋は、10軒近くあり、堀留町、横山町の大手の製品問屋とガッチリ組んだ取引をしていました。 到底小企業の弊社が入り込む余地はありませんでした。
この時代は、腹巻、手袋、防寒着としてのセーターなどの、実用衣料としてのニット製品が大量に流通していました。

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1957年(昭和32年) 弊社は、大手は狙わずに差別化を図り、中小の問屋さんにターゲットを絞り、あらかじめ2/32ウール100%の梳毛50色の染色糸をストックし、見本帳を作り、現金取引の商売を始めました。

大手は、ここまで細かい対応をしなくても、当然売れていました。
しかしこれが、弊社の差別化のスタートです。
設立当初から、大手との大きな取引ではなく、中小問屋向けの、差別化した会社でした。 当時の売上金額は、2000万円です。

1960年(昭和35年) この頃より、ニット製品は実用衣料ではなく、ファッションのアイテムとして確立してきた時代でした。
大手相手の実用衣料としてのニット製品から、専門店向けのファッションアイテムとしてのニットの時代の到来は、大きなチャンスでした。

1962年(昭和37年) 父は錦糸町のニット製造メーカーである伊佐山メリヤスの次女の母フミ子と結婚。 1963年(昭和38年)10月2日、私が長男として誕生しました。

1964年、1965年(昭和40年) 弊社とアパレル、そして大手小売専門店チェーンの鈴屋との共同企画で素材開発をスタートさせました。

共同開発した素材で作ったウールのセーターと、ニットのプリーツミニスカートのツーピースの商品が、大ヒットし、業界にセンセーションを巻き起こしました。

それを機に、アパレルからの取引依頼が殺到しました。
ファンシーヤーンと呼ばれる、加工糸。 他にない、新しい糸の開発に重点をおき、会社の地位を徐々に確立していきました。

1968年(昭和43年) 三愛他、多くの大手小売専門店チェーンと商品開発のプロジェクトチームを作りました。

1973年(昭和48年) 父、岡崎安宏が代表取締役社長に就任しました。

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1974年(昭和49年) 資本金1000万円に増資。 本社向かいに、商品倉庫を建てました。

 

1975年(昭和50年) 伊藤忠商事他、大手商社との取引も始まり、特にトーメンとは、業界では初のイタりア、フランス、またペルーからの糸の買い付けも開始しました。
資本金を、2000万円に増資しました

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1976年(昭和51年) 資本金を3000万円に増資しました。

一番売れていた専門店向けのアパレルと、すべて取引できていた事。 そして、新しい素地開発と、編地テキスタイルの提案は、今では当たり前ですが、当時は弊社のみでした。

1980年(昭和55年)から、1990年(平成2年)頃までは、専門店に代わり、マンションメーカーから始めた、DCブランドブームが到来。

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弊社の開発したレーヨンのニットデニットで作ったフェミニンなニットのツーピースが大ヒットし、再び業界の話題になりました。

それを機に、DCブランドとの取引が、大きくなりました。
デザイナーブランド向けの取引は、まさに弊社の得意分野であり、ターゲットと、商品が見事にマッチしていました。
売上も倍増し、安定した収益を上げていました。

DCブランド全盛時、アパレル最大手から、取引依頼が来ましたが、父はお断りしました。
確かに売上は倍以上に確実になるはずです。 しかしながら、従来のお客さんに迷惑がかかる。 人間的付き合い、恩義を大切にしていきたい。 素材開発もままならなく、ただ忙しいだけ。 社員も振り回される。価値をわかってもらえないと言う理由でした。

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1990年(平成2年) 同じ両国3丁目の以前より所有していた土地に、6階建てのお洒落な新社屋が完成しました。

弊社が、感性の高い糸を販売している企業イメージに合わせ、下町にない感覚のビルです。 ビルの1階は、父の趣味であるヨーロッパのアンティークの家具、小物を置いたカフェも作りました。

インテリアも、オフィスビルではなく、まるで住居空間のように、ウッドのフロアーにアンティークの家具、父の描いた絵画を飾り、温かい作りです。

取引先は、DCブランドから代わり、ミセスの専門店向けのこだわった物づくりをするアパレルに、徐々に移行していきました。

1991年(平成3年) 私が5年間勤務した大手商社から、弊社に入社したのと同時に、商社時代に行っていた海外製品輸入の事業を立ち上げました。

1995年(平成7年)からは、仕入先大手素材メーカーと共同開発、共同販売。 また、見本帳を利用してのブック販売形式が一般化した中でも、差別化した素材開発は継続し、弊社独自のブック販売形式を行っています。

1996年(平成8年)11月26日。 祖父が他界しました。 94歳でした。

製品事業は、1999年(平成11年)より特に拡大しています。

アパレルのデザイナーさんに対しての素材の見せ方が変化しました。
かつては、糸だけを提案すればよかった。 巻いてある糸、または糸そのものを見せれば、デザイナーさんは自分でデザインが出来ました。
それだけ知識と、自分で作り上げるだけの経験がありました。

それから弊社は、編地、テキスタイルにして、その糸の使い方を提案。
そして、近年はデザイナーさんは糸、編地テキスタイルではわからない人が大半になりました。
生産地が中国中心の海外に移り、デザイナーさん自ら工場に入り込んで、知識と技術を習得する機会と時間がなくなり、商社や企画会社、そして弊社のような専門のプロからのトレンドを加味した、製品の提案が一般的になっています。

弊社製品事業も、糸からの提案にとどまることなく、製品の提案により、素材と製品の受注を受けています。

2002年(平成14年)以降、ジャパンクリエーションなどの展示会へ出展。
積極的に製品の提案を行いました。

2003年(平成15年) 5月20日。

祖父の生誕100年の誕生日の日に、私は社長に就任しました。

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岡崎博之 社長就任パーティーのひとコマ

2005年(平成17年)7月、50周年を迎え、第二創立期として新たなスタートを切りました。 資本金を5500万円に増資しました。

祖父と父が会社を設立した当時あった多くの大手の糸卸問屋は、すべてなくなってしまいました。

糸の事業は、同業他社がすべてと言っていいくらいいなくなりました。
50年の年月を経て、残ってきた事は、意地であり、誇りであり、
これが弊社の、アイデンティティーです。

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JBKS 初出展時のブース

2006年(平成18年)4月 メールマガジンスタート。

2009年(平成21年)3月 第1回ベストニットセレクションに初出展しました。

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ニットラボの一室

2009年(平成21年)3月 KNITLABO(ニットラボ)が完成しました。

社員とお客さまが、「みんなで一緒」に作り上げる空間を目指し、本社内を開放しました。 全く新しいコンセプトで、業界でも大きな話題になりました。
新しいビジネスモデルとして、各メディアにも取り上げていただきました。

http://www.knitlabo.jp

2010年(平成22年)3月 第2回ベストニットセレクションに出展。

2010年(平成22年)7月 創業55周年を迎えました。

2011年(平成23年)4月 表参道にて製品展示会を初開催しました。丸安毛糸初の単独展示会。

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ニット素材展示会のDM

2011年(平成23年)6月 本社にて素材展示会を初開催しました。
2011年(平成23年)11月 大阪にて素材展示会を初開催しました。

2012年(平成24年) 4月 ニット産地 山形・新潟にて素材展示会を初開催しました。

2012年(平成24年) 10月 ニット産地 福島にて素材展示会を初開催しました。

 

2012年(平成24年)11月 本社展示会にてトレンドセミナーを初開催しました。

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2012年(平成24年) 2月20日 編み物教室。ニッターズアカデミーがスタートしました。専用サイトはこちら>>>

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2012年(平成24年) 3月1日~4日 丸安毛糸のオリジナルニットブランド”PuntoDoro”がPARIS SUR MODEパリシュールモードに初出展しました。
PuntoDoro公式Webサイトはこちら>>

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2013年(平成25年)定期的に年13回の展示会・年2回のトレンドセミナーを開催。

2014年(平成26年)定期的に年13回の展示会・年2回のトレンドセミナーを開催。
展示会のお知らせDMでは、社員全員が参加し、楽しさを伝えるDMづくりを行なっています。これまでのDM画像↓↓↓

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  • yarns両国三丁目のニット展
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2015年(平成27年)2月 愛知県一宮市で開催されるジャパンヤーンフェアに初出展しました。

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2015年(平成27年)7月6日 創立60周年を迎えます。

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プロとしての素材開発を絶えることなく、続けてきました。
拡大路線にせず、既存のお客さんを大切にしてきたと思います。
そして、その時代ごとに、いいお客さんとめぐり合うことができて、基本を継続しつつ、時代に対応して進化、変態することが出来ました。

糸商として、残っていると言うことは、独占市場、独占企業になったという意味ではありません。時代として、機能として、不必要になったから、他社はなくなったのです。

父の信念は、人間関係を大事にする事、そしてそれらの人と商売することへの誠意と信頼関係です。

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私たち、丸安毛糸は、生き続けます。
創立からのDNAを、しっかり守りながら継続し、誇りを持って、

これからは「みんなで一緒」に、更なる進化と変化を繰り返していきます。

「最後の1社になる。」

この気迫を持ち続けていきたいと思っています。

2010.03.01
代表取締役社長 岡崎博之
(2015.05.01追記)

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